モンテッソーリ で子育て支援 手作りのモンテッソーリ教育 おうちでできるモンテッソーリ教育

コラム相良先生第5回

第5回 時間がたってみなければわからないこと

 大きな真っ赤なりんごがブラブラなっているのを見たときは、まるでお伽噺の国にきたような気がしました。今年の春、長野に来たばかりの私に「あれがりんごの花ですよ」と教えて下さる方が沢山いましたが、その時は遠目にパッとしない花を見て「そうですか」と言うだけでした。ところが、春にはさほど魅力的でもなかったあの花が、大きな真っ赤なりんごになって枝もたわわにぶら下がっているのを見て感動しました。そして、つくづく思うのです。時間が経ってみなければわからないことがある、と。

 日本にモンテッソーリ教育の実践が拡がり始めたのは今から40年ほど前でして、それから10~20年間ほどの間は多くの人が次のような批判を声高にしたものでした。「お部屋で指先のことばかりして、器用な子になるかもしれないが社会性が育たないのではないか。運動能力が育たないのではないか。幼児期にいくら良い教育をしても小学校に続かないから無駄じゃないか」等々でした。ところが、30~40年経ってみて、育った人たちの追跡調査をした結果、皮肉にも前述の批判と正反対のことが最も顕著な特長だったのです。つまり、モンテッソーリ教育を受けた子どもたちは、色々なタイプの人を友人にもっている。自分から積極的に話しかけて友だちをつくる。だから友だちが多い。人望がある。いじめられている子と平気で遊ぶ。喧嘩の仲裁役をする。司会役、リーダー、まとめ役、お笑い係などをする。このような社会的に豊かな人柄が共通に認められる特徴でした。また教具の使い方を、先生から丁寧に「提示」していていただき、それをジックリ見る習慣が身についているので、小学校以上になって教えられる新しい技術を学び取る能力が優れているというのです。特にスポーツでは、コーチが示すポイントを正確に見て実行する力が優れているので上達が早いというのが共通しています。スポーツの大会に出場して上位の成績を取ったという報告が多いのには驚きました。日本でモンテッソーリ教育が始まり出した頃は、表面だけを見て「社会性が育たない」「運動能力に劣る」等もっともらしく批判する人々がいましたが、時間が経ち、幼児期に内面に培われたものが育った結果を見ると、あの当時の批判と正反対の事実があるのです。

 今春長野に来て初めてりんごの花を見たときには、まさかこんなに大きな真っ赤で美味しいりんごがなるなんて私は想像することもできなかったのです。それと同じように、モンテッソーリ教育を手探りで実践し始めた30~40年前には、こんなに素晴らしい人間の可能性が現れるなんて正直言って想像できなかったのです。時間が経ってみなければわからないことがあるのですね。モンテッソーリ教育を受けた実りは小学校中学年頃から次第に顕著になっていっているようです。たわわに実っている真っ赤な大きなりんごを見ながら、モンテッソーリ教育の実になるもの、根っこにあるものを思うこの頃です。

2003年12月2日  相良敦子

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